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教育という戦略
カテゴリ: 論文
これからの日本はどうなるのか。

経済だけでなく、社会的にも道徳的にも仕組みや物差しを変える時期に来ていると思う。


未来のために、教育に投資を。

現在の責務として、行財政改革を。


現代を生きる私たちの責務として、よりよい環境を子供たちに遺したい。

今、出来ることを、実行したい。

10年後、20年後の子供達に笑われない行動をとりたいと願っている。

私の様な非才な人間に何が出来るのかと思う。しかし、多くの挑戦者の中から、突破する者が出てくる。


今、悩んで苦しんでいる子供達や学生達が存在する。
彼ら、彼女らを助ける事が出来るのは、私たちなのだ。

未来の日本を創り、新しい価値観を創造出来る人間。

自ら考え、自ら行動する。そんな若者を育てなければならない。

国家戦略として、教育に投資する。

まず「行動」を。

ベストを尽くします。
編集 / 2010.06.23 / コメント: - / トラックバック: - / PageTop↑
不登校
カテゴリ: 論文
不登校は、怠け病のように言われることがある。

確かに只、怠けてるだけの人もいるだろう。

しかし、私が接した不登校の子供達は、総じて感受性が強く、真面目な子供達ばかりだった。

一緒懸命、勉強してきて、ある日突然、力が抜けて不登校になるケースがある。

親に気に入られるため、良い子供を演じ、勉強を続ける。勉強をしていれば誉めてもらえる。単一化した価値観の中、子供時代を過ごし思春期を迎える頃に、自我が芽生える。

本来、幼少期より、ゆっくりと育まれるべき主体性が育まれ無いまま自我が芽生える。

「演技」に疲れた時、自我が芽生え、その自我は今までの自分を否定する。しかし、どうしたら良いかわからない。そんな状況なのかも知れない。

このように、真面目に過ごしてきた子供が不登校、引きこもりになりやすいのだ。

そして、不登校になる子供達は真面目なだけに、学校に行けないプレッシャーを人一倍感じている。

そのプレッシャーが、更に状況を悪化させるケースが多い。

子供が不登校や引きこもりから脱するには、親が「本気」にならないと難しい。


不登校になった子供の多くは、親の要望に合わせて生きてきたことを忘れてはならない。

では、どうすれば良いのか。

率直に申し上げると、不登校、引きこもりからの脱出は大変な時間がかかる。家庭が崩壊するケースもある。このことは機会を改める。

やはり予防が大切なのだ。
不登校の原因は、多分に親に存在する。

予防をするには親の意識を変える必要があるのだ。

以前にも書いたが、親が子供に勉強させるのは当然だ。どんなキレイ事を言っても、この学歴社会は現実だ。


私が実現したいのは、勉強をすることと同時に、主体性を育てる教育をする事なのだ。

時間的な対立軸に考えられがちだが、勉強と体験教育は対立軸ではない。

先日のブログ「勉強する理由」にも書いたが、子供達は本来、学びたいという思いを持っている。勉強する理由を見つけた子供たちは自ら学ぶようになる。


私はその仕組みを、大学と地域と学校の協働に見つけた。この仕組みを一般化、汎用化し、新しい地域教育を実現したい。

教育という成長戦略。


日本の未来のために、「教育」が最重要なのだ。

編集 / 2010.06.11 / コメント: - / トラックバック: - / PageTop↑
勉強する理由
カテゴリ: 論文
先日の「同一視」の続き。

てらこや事業では、大学生や高校生が子供たちと一緒に学び、活動する。そして、鎌倉てらこやでは、早稲田大学の大学生が全ての事業を企画運営している。

事業に参加した子供たちは、同一視の対象を大学生の中に見つけはじめる。事業を運営している大学生に憧れるのだ。

その時、子供たちに小さな変化が生まれる。

多くの子供たちが将来、大学に行きたいと言い出す。自分も大学生になりたいと考えだすのだ。偏差値等気にせず、自分たちと遊んでくれている学生の大学、早稲田大学に行きたいと言い出すのだ。

親御さんは子供に言う。

「早稲田に行きたいなら勉強しないとね」


子供たちは、この時始めて「勉強する理由」を見つける。今まで、親に言われるから、塾で宿題が出るから、と他者からの指示で勉強をしていた。しかし、同一視の対象を見つけ、自発的な学びが始まると、子供の学力は一気に伸びたりする。

自発的に行動すること。

子供たちに、とても大切なことなのだ。
編集 / 2010.06.08 / コメント: - / トラックバック: - / PageTop↑
演技する子供たち
カテゴリ: 論文
現在の子供たちの多くは演技をしている。


てらこや事業を始める前、私たちは別なカタチで子供向けの事業を行っていた。キャンプであったり、畑作りであったり。それらの事業終了後、子供たちに「楽しかった?」と聞いていた。子供たちは満面の笑みで「楽しかった!!」と答えてくれて、私たちは事業が成功したと思っていた。

しかし、その笑顔の多くは演技であった。参加した子供たちは、事業を企画運営した、私たち大人に気を遣って、笑顔を演出していることに気が付いた。

私たちは、子供たちに気を遣って貰っていたのだ。そして、その笑顔を見て、事業が成功したと自己満足をしていたのだ。


「今どんな顔をすれば良いか」
「今何を言えばいいのか」
「自分が何になれば、喜んでくれるのか」


子供たちは、常に周囲を見、考え、生き残るために、周囲に自分を合わせ演技をしているのだ。脊髄反射に近いスピードで、常に演技をし、主体性が失われている。

学校で変に目立つとイジメの対象になり、下手をすれば自殺まで追い込まれる。周囲に合わせなければKYと言われ、コミュニティから排除される。学校は、子供たちにとって非常に神経質な危険な場所に成りつつある。

家でも、親の愛情を獲得するため、親の顔色を伺い、親の価値観に合わせて自分を作っていく。それは、親の願望の投影であり、子供自身の姿ではない。

学校と塾と家を循環し続ける生活。昭和40年代頃までは、子供たちの周囲に様々な大人がいて、勉強以外の価値観が多く存在した。物理的にも精神的にも「逃げ場所」があり、そこにはリアルな人間関係が存在した。「勉強しなさい」という物差し以外の価値観が存在したのだ。


親も子供の幸せを願い、良い親を演じる。かく言う私も親を演じていた。子供はそれを敏感に感じ取り、私に対して演技で返していた。予定調和された関係だった。

しかし、森下先生に出会い、私は子供との関係性に気が付いた。その時より、出来るだけ自分の弱さも見せるようにし、子供に自分で考え、行動するように心がけた。未だダメな親であるが、気が付いて良かったと痛感している。


話しを元に戻す。


私たちの子供の頃も多少なりともそうであったし、社会で生きて行くには自分を抑え、周囲に合わせることも必要だ。しかし、言うまでもなく「演技」をするには「自分」が確立されていなければならない。幼少期にギャングエイジを経験し、主体性を持った自我を成長させ、その上で生きる技術を身につけているべきだ。

繰り替えしになるが、演技することを否定するのではない。しかし、演技を覚える前に、ベースとなる自分を確立しなければならないのだ。

良い役者は演技の技術だけではなく、その役柄を理解し解釈する豊かな人間性が重要になる。これは人生に於いても同じ事だと思う。


秋葉原の殺傷事件の加藤被告をご記憶だろうか。彼は被害者の家族に謝罪の手紙をこう書いている。


自分は大変大きな事件を起こし被害者の方々に謝罪したいと思っている。しかし、この謝罪したいと思う自分が、本当の自分か分からない。そんな気持ちで謝罪することは、かえってご遺族に失礼で、自分自身がわからない。と書いてあったそうだ。

この犯罪は許されることではない。

しかし、彼のこの文面からは、彼の主体性の無さが伺われる。価値基準を周囲に委ね、勝ち組と負け組という基準に自分を置いてしまった。何かに合わせて、自分を作って来たのだろう。もし彼に主体性があり、自分を心配してくれる存在に考えが及べば、このような事件は起こさなかったかも知れない。


自ら考え、自ら行動する。

主体性を持った子供たちを育てることが重要なのだ。
編集 / 2010.06.07 / コメント: - / トラックバック: - / PageTop↑
同一視
カテゴリ: 論文
子供には「同一視の対象」を見つけることが重要だ。

同一視の対象とは何か?

それは、自分が成りたいと思う将来の姿である。
このブログでも講演でも良く述べることだが、昭和40年代位までは、「地域教育」の仕組みが残っていた。子供たちは、世代の違うお兄ちゃん・お姉ちゃんと遊ぶ機会があり、そのコミュニティーの中で、同一視の対象を見つけていった。


「ああいうお兄ちゃんになりたい。あんなお姉ちゃんになりたい」

子供たちは、自分の身近に、同一視の対象を見つけることで、人間関係の作り方や基本的な道徳、ルール等を学んで行った。

現代の子供たちはどうか。

多くの子供たちは、塾と学校と家庭を循環する、多様性という観点からは、狭いコミュニティーの中にいる。なかなか違う世代の友人を作る機会がない中で、同一視の対象を探している。

一昔前の価値観であれば、父親のようになりたい、母親のようになりたいと考える子供も多かった。しかし、家庭環境が変化し、家族の関係も希薄化、仮面化する中で、そのような価値観は失われていった。そして現在、子供たちはテレビから得る情報から同一視の対象を見つけている。

それはプロ野球選手であったり芸能人であったり。極端な対象になっている。セレブとか勝ち組、負け組という価値観も刷り込まれつつある。当然、昔の子供たちも、野球選手や芸能人に憧れていた。しかし、現代の子供たちと違うのは、身近に同一視の対象を持ち、その上で、憧れである夢を持っていた点にある。

このブログを読んで下さっている40代以上の方は以下のような体験があったのではないか。

地域のお兄さんやお姉さんたちと遊んでいる時、ゴレンジャー(少々古すぎかも)とか戦隊ものの遊びをした。その中で、殆どの男の子は赤レンジャー役をやりたがった。しかし、その役を出来るのは、グループのリーダーであり年長者であった。年少者は良くてキレンジャー、下手をすると怪人役だったりした。なかなか「主役」を演じることは出来なかった。主役を任されるには、それなりの努力と年月が必要だった。また、野球盤等のゲームをするにも「順番」というルールがあり、子供達自身のルールが存在した。


現在はどうか。

子供たちは、少子化や地域教育が喪失していく中で、簡単に「主役」になれる。家庭内でも生まれながらに主役である場合も多い。ゲーム機も各個人が自分のゲーム機を持ち、その世界では自分が主役になれる。他者が介在しない主役になっている。

そのような環境で育っていき、実社会に出て現実と直面する。現実に直面した時の苦しみは此処で述べるまでもないだろう。やはり、人格を形成する子供時代に、同一視の対象を見つけ、失敗を経験することは重要になる。主役になれず、悲しい思いをさせるのは可哀想かも知れない。しかし、このような経験は他者を思いやる心に繋がり、人を許すことで自分を許すことが出来るようになると思う。


近未来の目標を持つことで、子供達には努力する意味や、目標達成への道筋が見えてくる。それに対して成功体験や失敗体験を積むことが出来、その過程が子供たちの人格形成に繋がる。それは小さな一歩ではあるが、大きな意味を持つ。また、自分の属しているグループの中に、同一視の対象=自分の将来の姿を持つことで、所属欲求が満たされる面が有るのかも知れない。


身近に同一視の対象を見つけることは、とても大切なのだ。
編集 / 2010.06.06 / コメント: - / トラックバック: - / PageTop↑
プロフィール

Author:湯澤大地
内閣府認定 NPO法人(縦覧期間中)
全国てらこやネットワーク理事長

NPO法人 鎌倉てらこや
元理事

財団法人 鎌倉能舞台
評議員

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